1.カール・バルト研究についての私の立場

 私は、バルト者ではあっても、バルト主義者でも反バルト主義者でも中立主義者でもない。ただバルト自身の主要著作に即してのみ論じて行くことを原則としているバルト者として、自分自身を自己認識し自己理解し自己規定している者である。何故ならば、論述対象がカール・バルトである時、その論述内容の客観的な正当性と妥当性を保証するものは、先ず以てはカール・バルト自身の主要著作の言葉(その思惟と語りの総体像)に即したものであるかどうかという点にあると考えるからである。したがって、私は、バルトの<主要著作に即した論述>を、すなわちバルト自身の<思惟と語りの総体像>を、今後も<再推敲し再整理して行く>という仕方で、さらに<深化させ豊富化させて行きたい>と考える者である。
 そして、この場所は、「教会の宣教をより危険なものにしてしまう」のは、われわれキリスト者が、「正しい注釈を、最終的に……教会の教職の判決に、……間違うことはありえないものとして振る舞う歴史的――批判的学問〔人間学的神学〕の判決に、依存させてしまうところにある」(『教会教義学 神の言葉』)し、われわれキリスト者は誰であれ、「教授でないものも、牧師でないものも、彼らの教授や牧師の神学が悪しき神学でなく、良き神学であるということに対して、共同の責任を負っている」(『啓示・教会・神学』)のであるから、われわれキリスト者が誰であれ、自分の出来得る限りにおいて、その責務を果たして行くことができるための<啓示神学的な知識と方法を、<カールバルトを介して提供する場所である
 なお、私は、私にもカール・バルトを読むことができる機会を与えてくれたところの、『福音と律法』および『教会教義学』(和解論)等を翻訳した井上良雄、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』および『教会教義学』(神の言葉、神論、創造論)を翻訳した吉永正義等の誠実な翻訳者に対して、尊敬と感謝の念を抱いている者である。

2.吉本隆明の再推敲、再整理、論述

 「吉本隆明」についての論述は現在<休眠>状態ですが、「カール・バルト」関係の事柄が一段落したら、また再推敲、再整理を含めて論述をはじめて行きたいと考えています。

3.【凡例】 

  1. 引用文中の(≪≫)あるいは〔〕書きはすべて、私が加筆したものです。したがって、その加筆に疑問を感じた方は、当該引用文献に即してご自由にお考え下さい。バルトの翻訳本および原書本は、購入しなくても旧帝大の大学図書館ならば、すべて揃っていると思います。私は、東北大学の大学図書館を時々利用していました。国立の大学図書館は、誰でも利用できますし、利用し易いですし、学食もあって非常に良いです。
  2. 既出の引用については、その文献名を省略している場合があります。ご容赦ください。
  3. 十分に注意はしておりますが、引用上等の不備がありました場合にはご容赦ください。
  4. 「indem」について、2017年3月12日以降、吉永正義訳の「……する間に」をすべて、井上良雄訳のように「……することによって」と引用し直しています。
  5.  ◎は、再推敲し再整理した論述です。また、◎PDF版は、再推敲し再整理した論述を、さらに再推敲し再整理した論述です。
     

4.【プロフィール】および【拙著】

  • 【プロフィール】
  • 1947年名古屋市生まれ
  • 日本キリスト教団所属の教会の一教会員 
  • 青山学院大学文学部神学科卒業
  • 名古屋市立大学大学院人間文化研究科博士前期課程(人間文化専攻)修了
  • 2008年4月以降、定年退職後の時間を利用し、カール・バルトの著作を主として、吉本隆明等の本を読んでいます
  • なお私は私を受け入れて育ててくれた母教会の牧師および会員の皆さんに対してその当時においてもまた現在においても感謝の気持ちを抱いている者ですし退職後に移住した仙台市において私を受け入れてくれた教会の牧師および会員の皆さんに対しても感謝の気持ちを抱いている者ですこのことはここに記しておきたいと思います

    【拙著】
    『全キリスト教、最後の宗教改革者カール・バルト』キリスト新聞社、2013年8月26日
    「本・批評と紹介」:関田寛雄=日本基督教団神奈川教区巡回教師、青山学院大学名誉教授(一般財団法人キリスト教文書センター『[月刊]キリスト教書評誌』「本のひろば」2014年2月号)
    なお、拙著について正直に言えば、内容等の推敲不足を否むことはできませんので、現在、この「カール・バルト(その生涯と神学の総体像)」において、さらなる<再推敲>と<再整理>等を行うという仕方で、最善最良のトータルなカール・バルトについての論述を目指しています。

5.参考・引用文献

  • カール・バルト『教会教義学 神の言葉』吉永正義訳、新教出版社
  • カール・バルト『教会教義学 神論』吉永正義訳、新教出版社
  • 『カール・バルト教会教義学 和解論Ⅰ/1』井上良雄訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集2』「ナイン!――エーミル・ブルンナーに対する答え」吉永正義訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集3』「ルドルフ・ブルトマン」小川圭冶訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集4』「ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ」井上良雄訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」蓮見和男訳および「神の人間性」寺園喜基訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集8』「知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明」吉永正義訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集10』「教義学要綱」井上良雄訳および「福音主義神学入門」加藤常昭訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集12』「カント」佐藤司郎訳および「ヘーゲル」酒井修訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集14』「ローマ書」吉村善夫訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集15』「ローマ書新解」川名勇訳、新教出版社
  • 『カール・バルト著作集17 説教<下>』「主を見た時 ヨハネ福音書二〇・一九-二〇」および「負いなさい! ガラテヤ六・二」蓮見和男訳、新教出版社
  • カール・バルト『啓示・教会・神学/福音と律法』「啓示・教会・神学」および「福音と律法」井上良雄訳、新教出版
  • カール・バルト『バルト自伝』佐藤敏夫訳、新教出版社
  • カール・バルト『説教の本質と実際』小坂宣雄訳、新教出版社
  • カール・バルト『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』小島洋訳、新教出版社
  • J・ファングマイヤー『神学者カール・バルト』「シュライエルマッハーとわたし 1968年」加藤常昭・蘇光正訳、新教出版社
  • カール・バルト『教会――活ける主の活ける教団』「証人としてのキリスト者」井上良雄訳、新教出版社
  • カール・バルト『教会と国家』「キリスト者共同体と市民共同体」蓮見和男訳、新教出版社
  • カール・バルト『ヨブ』ゴルヴィッツアー編・解説、西川健路訳、新教出版社
  • ゴッドシー編『バルトとの対話』古屋安雄訳、新教出版社
  • エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社
  • J・ファングマイヤー『神学者カール・バルト』加藤常昭・蘇光正訳、新教出版社
  • エーバハルト・ブッシュ『バルト神学入門』小川圭冶訳、新教出版社
  • E・トゥルナイゼン『ドストエフスキー』国谷純一郎訳、新教出版社
  • E・トゥルナイゼン『牧会学II』加藤常昭訳、日本基督教団出版局
  • ドストエフスキー『罪と罰 上』米川正夫訳、新潮社
  • M・ルター『キリスト者の自由』石原謙訳、岩波書店
  • ボンヘッファー『説教と牧会』森野善右衛門訳、新教出版社
  • 関田寛雄『「断片」の神学』日本キリスト教団出版局
  • 『滝沢克己著作集第一巻 カール・バルト研究』創言社
  • 八木誠一『イエス』清水書院
  • 寺園喜基『バルト神学の射程』ヨルダン社
  • クラッパート『和解と希望 告白教会の伝統と現在における神学』寺園喜基編、新教出版社
  • クラッパート『バルト=ボンヘッファーの線で』寺園喜基編、新教出版社
  • 吉永正義『バルト神学とその特質』新教出版社
  • 喜田川信『歴史を導く神―バルトとモルトマン』ヨルダン社
  • 倉松功『ルターとバルト』ヨルダン社
  • 戸田伊助『十字架につく神 十字架上の七つの言葉』新教出版社
  • E・ユンゲル『神の存在 バルト神学研究』大木英夫・佐藤司郎訳、ヨルダン社
  • 大木英夫『人類の知的遺産 バルト』講談社
  • ウェブ上の資料:佐藤司郎「 R ・ボーレン以後の説教学の動向」および小泉健「 R ・ボーレンの説教学の教会論的基礎づけ」
  • 佐藤優『はじめての宗教論 右巻・左巻』NHK出版
  • 富岡幸一郎『使徒的人間――カール・バルト』講談社
  • イザベラ・バード『日本奥地紀行』金坂清則訳、平凡社
  • 野村達郎『民族で読むアメリカ』講談社
  • 橋爪大三郎・大澤真幸『ふしぎなキリスト教』講談社
  • 『歎異抄』梅原眞隆訳注、角川書店
  • 『宮沢賢治全集第12巻』「農業芸術概論綱要」筑摩書房
  • 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』「よだかの星」角川書店
  • 木田元『ハイデッガーの思想』岩波書店
  • 山崎純『神と国家』創文社
  • 吉本隆明『マルクス―読みかえの方法』深夜叢書社
  • 吉本隆明『母型論』学習研究社
  • 『吉本隆明全仏教論集成』「親鸞について」および「親鸞の教理ついて」春秋社
  • 吉本隆明『未来の親鸞』春秋社
  • 吉本隆明『今に生きる親鸞』講談社
  • 吉本隆明『最後の親鸞』春秋社
  • 吉本隆明『親鸞復興』春秋社
  • 『吉本隆明全著作集6 文学論Ⅲ 言語にとって美とはなにか』勁草書房
  • 『吉本隆明全著作集11 思想論 II 共同幻想論』勁草書房
  • 『吉本隆明全著作集12』「カール・マルクス」勁草書房
  • 『吉本隆明全著作集14』「個体・家族・共同性としての人間」、「幻想としての人間」、「人間にとって思想とはなにか」、「自立思想の形成について」勁草書房
  • 吉本隆明『心とは何か 心的現象論入門』弓立社
  • 吉本隆明『人生とは何か』弓立社
  • 吉本隆明『超20世紀論 下』アスキー
  • 吉本隆明『どこに思想の根拠をおくか 吉本隆明対談集』「思想の基準をめぐって」筑摩書房
  • 吉本隆明『詩的乾坤』「メルロオ=ポンティの哲学について」、「行動の内部構造」国文社
  • 吉本隆明『知の岸辺へ』「言葉の根源について」弓立社
  • 吉本隆明『信の構造2――全キリスト教論集成』春秋社
  • 吉本隆明『敗北の構造』「南島論」弓立社
  • 吉本隆明『アフリカ的段階について 史観の拡張』春秋社
  • 吉本隆明『<アジア的>ということ』弓立社
  • 吉本隆明『自立の思想的拠点』「情況とは何か VI」、「日本のナショナリズム」徳間書店
  • 吉本隆明『世界認識の方法』中央公論社
  • 吉本隆明『幸福論』青春出版社
  • 吉本隆明『源氏物語論』筑摩書房
  • 吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店
  • 吉本隆明『情況へ』宝島社
  • 吉本隆明『大情況論』弓立社
  • 吉本隆明『<非知>へ――<信>の構造 対話編』「吉本×末次 滝沢克己をめぐって」
  • 吉本隆明『「ならずもの国家」異論』光文社
  • ヘーゲル『哲学史序論―哲学と哲学史』武市健人訳、岩波書店
  • ヘーゲル『法哲学講義』長谷川宏訳、作品社
  • ヘーゲル『歴史哲学講義 上』長谷川宏訳、岩波書
  • ヘーゲル『美学講義 上』長谷川宏訳、作品社
  • 加藤尚武他『ヘーゲル研究』弘文堂
  • 岩佐茂他『ヘーゲル用語事典』未來社
  • L・フォイエルバッハ『キリスト教の本質 上・下』船山信一訳、岩波書店
  • 『フォイエルバッハ全集第12巻』「宗教の本質にかんする講演 下」船山信一訳、福村出版
  • マルクス『経済学・哲学草稿』城塚登・田中吉六訳、岩波書店
  • マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』「ドイツイデオロギー」、「マルクスフォイエルバッハについてのテーゼ」古在由重訳、岩波書店
  • マルクス『ユダヤ人問題によせて』「ユダヤ人問題によせて」、「ヘーゲル法哲学批判序説」城塚登訳、岩波書店
  • マルクス『経済学批判』「経済学批判」、「経済学批判序説」武田隆夫・大内力他訳、岩波書店
  • マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』手島正毅訳、大月書店
  • マルクス『資本論(一)』(エンゲルス編)向坂逸郎訳、岩波書店
  • M・フーコー『思考集成 IV 』「ミシェル・フーコーとの対話」大西雅一郎訳、筑摩書房
  • M・フーコー『思考集成 VII』「フーコーと禅」佐藤清靖訳、筑摩書房
  • フーコー『思考集成 X』「啓蒙とは何か」および「個人の政治テクノロジー」石田英敬訳、筑摩書房
  • 北山晴一・山本哲士『フーコーの<全体的なものと個的なもの>』ミシェル・ フーコー「全体的なものと個的なもの――政治的理性批判に向けて」北山晴一訳、三交社
  • 桑田禮彰・福井憲彦・山本哲二編『ミシェル・フーコー』ミシェル・ フーコー「セックスと権力」新評論
  • H・L・ドレファス+P・ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』山形頼洋・鷲田清一他訳、筑摩書房
  • 中山元『フーコー入門』筑摩書房
  • E・W・サイード『オリエンタリズム 下』板垣雄三・杉田英明監修・今沢紀子訳、平凡社
  • フレイザー『金枝篇(一)』永橋卓介訳、岩波書店
  • J・ハーバーマス『事実性と妥当性 上』河上倫逸・耳野健二訳、未来社
  • 大久保良峻『天台教学と本覚思想』法藏館